幕末の京都では沢山の人が 暗殺されていった。
騒動の中心地になっているのが 高瀬川の 木屋町通り界隈。
今は桜の名所 高級飲食街と化してにぎわってます。
幕末の京都には 「天誅でござる!!」 と言って 沢山の人が 暗殺されていった。 又 その報復とばかりに 新撰組も 活躍してた。 その 騒動の中心地が 高瀬川の 木屋町通り界隈。 この辺り 志半ばで 果てていった 人達の 怨念がおんねんよ (。_゚☆\(- - ) バシ 今は 桜並木の高瀬川界隈 飲食店が連なってます。
昔も 運送の要 高瀬舟が 行き来して賑やかな場所。 昼間は 賑やかな 繁華街だった。
この 高瀬川沿いには 色々な 史跡が残されてます。 尤も つわものどもが 夢が跡で 石碑があるだけですけど。 土佐藩邸跡。
加賀藩邸跡。
沢山の 人達が 行き来していたのです。 池田屋や寺田屋も この近辺にあります。 ですから 木屋町通りには 沢山の史跡が石碑が。 捜してみるのも 楽しいです。 武市瑞山や吉村寅太郎。
佐久間象山♪ お龍さん♪
枯山水の庭園よりも♪ どちらかと言うと 年期の行った 土壁の方が素敵だった。
それだけに 色んな人が遭難されて殺されていった。 この人達が 生きていたら どうなってたでしょう。 そんな幕末思いをはせながら そぞろ歩くのも 楽しいかも。
2009/9/6